田久保沼周辺(その2)
こんにちは。
遅くなりましたが前回の続き。
大堤地区からです。
上の写真で真ん中に写ってる道路に立って交差点を見たところ。
昔は私が立っている場所が元々の高さでした。
大堤交差点は盛り土されているのがわかります。
交差点により美砂古(みさご)方面へ行く道は分断されています。
振り返って撮影。大堤地区です。
歩いていきます。
奥にヤマダ電機の看板が見えます。
もう少し行くとイオンの駐車場にぶち当たり、道が一旦消滅します。
元々は駐車場を突っ切るような形でのびていてヤマダ電機前の交差点から
auショップ付近までは昔の道を拡幅して使っているようです。
で、イオンの駐車場まで行かず左折。
奥に県立近代美術館が見えます。
歩いていくと、ふるさと村の施設が見えてきました。
道路に突き当たります。
右がヤマダ電機、左がルートインや大堤交差点方面。
道路を横断すると神社があります。
石段を登ってお参り。
わかりづらいですが、すぐ裏手にふるさと村のワンダーキャッスルがあり、
案内放送とか聞こえます。
石段を下りたところ。
正面にルートイン。
神社の前にはアスファルト。
昔の道路跡です。
左側に信号機がちょこっと写っていますが、そこから右折して
田久保沼の縁に沿って道があります。
この道も拡幅されて現在の形になっています。
前回の記事に書いた田久保沼の案内板が中央にあります。
スタート地点のふるさと村の第4駐車場まではもう少し。
駐車場にたどり着きました。
これで田久保沼周辺を一周したことになります。
最後に案内板に描かれた途切れた道のことです。
東屋の近くにあるこの道。
歩いていきます。
左側に沼と遊歩道。
振り返ればこんな感じ。
正面奥が第四駐車場。
上り坂になります。
何かが見えてきました。
ゲートです。がっちり封鎖されています。
ゲートの先は道が自然に返りつつあります。
振り返ったところ。
この道ですが30数年前は自転車で時々走っていました。
先ほどの東屋から、この封鎖地点まではほぼその時のままといった
感じでしたが、ゲート付近から先はヤブだらけ。
この道は何かといいますと、ゴルフ場へ通じる道でした。
昭和49年(1974年)2月、東京のK産業が横手カントリークラブとして
同年8月のオープンを目指して建設を進めていましたが、資金難に陥り
完成することはありませんでした。
昭和51年(1976年)の航空写真。(出典:国土地理院ウェブサイト)
中央やや下が田久保沼。
田久保沼のちょっと右上にあるのが大堤集落。
左下がゴルフ場跡地。
右側の逆Y字型になっている線で1時方向からカーブして下にのびているのが
奥羽本線。
まっすぐ左下方向へのびているのが横荘線跡になります。
中央上部には横手南中学校。
ゲートの先から勾配がきつくなり、坂道を登りきると平地に出て、
そこにクラブハウスとなる予定だった2階建ての建物がありました。
昭和60年ごろの話です。
ゴルフ場を拡大してみました。
写真右上の赤い屋根がクラブハウス。
その右側に坂道があり、写真上方で左にカーブして途切れている付近に前述のゲートが
あります。
黒くて円形の部分は、おそらくグリーンになる予定だったと思われ。
薄い緑色の部分は斜面です。
クラブハウス周辺が一番高い位置にあり下方に民家の屋根や沼が写っていますが、
その辺が一番低い場所になります。
すり鉢状というか、鉱山の露天掘りみたいなコースレイアウト。
だけど、下まで行ったらクラブハウスまで戻ってくるのがかなり大変そう。
ずっと上って来なきゃならないし。
クラブハウスの廃墟は鉄骨の骨組みと屋根だけで壁はどこにもなく、
床にはコンクリ片やガラスなどが散乱していましたが、吹き抜ける風が
心地良かった思い出があります。
あまり人が来ない場所ゆえ、所々にエ〇本が捨てられていて(*´Д`)ハァハァ
した記憶も・・・。
でも雨で濡れててページをめくるとすぐに破けたり・・・。
って、エ〇本目的で行ったわけではないですが。
それから何年か後、その廃墟(クラブハウス)も解体されてしまいました。
グーグルマップで航空写真を見ると今は大部分が自然に返り
緑が広がっているだけ。
時の流れを感じます。
遅くなりましたが前回の続き。
大堤地区からです。
上の写真で真ん中に写ってる道路に立って交差点を見たところ。
昔は私が立っている場所が元々の高さでした。
大堤交差点は盛り土されているのがわかります。
交差点により美砂古(みさご)方面へ行く道は分断されています。
振り返って撮影。大堤地区です。
歩いていきます。
奥にヤマダ電機の看板が見えます。
もう少し行くとイオンの駐車場にぶち当たり、道が一旦消滅します。
元々は駐車場を突っ切るような形でのびていてヤマダ電機前の交差点から
auショップ付近までは昔の道を拡幅して使っているようです。
で、イオンの駐車場まで行かず左折。
奥に県立近代美術館が見えます。
歩いていくと、ふるさと村の施設が見えてきました。
道路に突き当たります。
右がヤマダ電機、左がルートインや大堤交差点方面。
道路を横断すると神社があります。
石段を登ってお参り。
わかりづらいですが、すぐ裏手にふるさと村のワンダーキャッスルがあり、
案内放送とか聞こえます。
石段を下りたところ。
正面にルートイン。
神社の前にはアスファルト。
昔の道路跡です。
左側に信号機がちょこっと写っていますが、そこから右折して
田久保沼の縁に沿って道があります。
この道も拡幅されて現在の形になっています。
前回の記事に書いた田久保沼の案内板が中央にあります。
スタート地点のふるさと村の第4駐車場まではもう少し。
駐車場にたどり着きました。
これで田久保沼周辺を一周したことになります。
最後に案内板に描かれた途切れた道のことです。
東屋の近くにあるこの道。
歩いていきます。
左側に沼と遊歩道。
振り返ればこんな感じ。
正面奥が第四駐車場。
上り坂になります。
何かが見えてきました。
ゲートです。がっちり封鎖されています。
ゲートの先は道が自然に返りつつあります。
振り返ったところ。
この道ですが30数年前は自転車で時々走っていました。
先ほどの東屋から、この封鎖地点まではほぼその時のままといった
感じでしたが、ゲート付近から先はヤブだらけ。
この道は何かといいますと、ゴルフ場へ通じる道でした。
昭和49年(1974年)2月、東京のK産業が横手カントリークラブとして
同年8月のオープンを目指して建設を進めていましたが、資金難に陥り
完成することはありませんでした。
昭和51年(1976年)の航空写真。(出典:国土地理院ウェブサイト)
中央やや下が田久保沼。
田久保沼のちょっと右上にあるのが大堤集落。
左下がゴルフ場跡地。
右側の逆Y字型になっている線で1時方向からカーブして下にのびているのが
奥羽本線。
まっすぐ左下方向へのびているのが横荘線跡になります。
中央上部には横手南中学校。
ゲートの先から勾配がきつくなり、坂道を登りきると平地に出て、
そこにクラブハウスとなる予定だった2階建ての建物がありました。
昭和60年ごろの話です。
ゴルフ場を拡大してみました。
写真右上の赤い屋根がクラブハウス。
その右側に坂道があり、写真上方で左にカーブして途切れている付近に前述のゲートが
あります。
黒くて円形の部分は、おそらくグリーンになる予定だったと思われ。
薄い緑色の部分は斜面です。
クラブハウス周辺が一番高い位置にあり下方に民家の屋根や沼が写っていますが、
その辺が一番低い場所になります。
すり鉢状というか、鉱山の露天掘りみたいなコースレイアウト。
だけど、下まで行ったらクラブハウスまで戻ってくるのがかなり大変そう。
ずっと上って来なきゃならないし。
クラブハウスの廃墟は鉄骨の骨組みと屋根だけで壁はどこにもなく、
床にはコンクリ片やガラスなどが散乱していましたが、吹き抜ける風が
心地良かった思い出があります。
あまり人が来ない場所ゆえ、所々にエ〇本が捨てられていて(*´Д`)ハァハァ
した記憶も・・・。
でも雨で濡れててページをめくるとすぐに破けたり・・・。
って、エ〇本目的で行ったわけではないですが。
それから何年か後、その廃墟(クラブハウス)も解体されてしまいました。
グーグルマップで航空写真を見ると今は大部分が自然に返り
緑が広がっているだけ。
時の流れを感じます。
2018-10-27 13:03
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